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まだ社会人になって間もないころに大病を患い、病院と自宅と職場を行ったり来たりしてきたのですが、不思議と自分を不幸だとか、人生お先真っ暗だとか思ったことがないことが、わたしの自慢です。

職場や自宅で倒れること数回。これも不思議なのですが、仕事に限界を感じたり、周囲の女性の人生に対する期待に応えられないプレッシャーに押しつぶされそうになったりしたときで、入退院を繰り返すことで、体や心に、今は闘病生活のことだけ、体の回復のことだけを考えればいいんだよと、その限界を感じた場所から少しだけ避難することができたのです。

そのため、体調の悪化は嫌なことではありますが、時間的かつ精神的なゆとりを得られたおかげで、体は不自由だけれども、考える時間を充分、与えてもらったという、病気に対して、妙な恩があるのです。

最初に発症したころは、会社は休みが週に一度、取れるか取れないかという状況で、まだ下っ端の中でも下っ端だったわたしは、無我夢中で働いていました。

とにかく20代、30代はがむしゃらになって働く時期だ、プライベートの充実なんて言っていたらリストラ対象となって、再就職なんてできないぞという神話を本気で信じ、スキルアップだ、昇進だと、訳も分からず周囲にご機嫌を取りながら、職場での自分の場所を確保して、その確保した場所を少しずつ広げることだけに必死になっていたのです。

そんな状況だからこそ、足元をみられて、やらなくても良い仕事を押し付けられたり、理不尽な条件を出されても、修行のようにこなすようになり、自分では分からないうちに、体を蝕んでいく病気と出会ってしまったようです。

もう体力的にも時間的にも限界だと思っていた矢先、運ばれた病院での光景は今でも忘れません。真っ白な白い部屋だったのですが、天国のように思えました。

緊急入院を経て、退院後、自宅での療養生活が始まり、久しぶりに家族団らんに参加できた毎日が愛おしいくらい幸せでした。

それまでは、家族も顧みず、兄たちのようにわたしも独立しなければと、勝手に意気込んで、いつか一人暮らしをするようになるだろうと、そのときの下準備とばかりに家事や仕事に励んでいたのですが、療養生活中のわたしは、祖父母や両親とともに生活できる幸せを満喫していました。

有難いことに、会社に復帰できるようになり、体に負担がかからないよう働けるようになったこともあり、余裕を持って仕事にスキルアップにいそしめるようになりました。

一人で社会で雄々しく生きていくという漠然とした夢から、祖父母と両親を支えて生きる幸せを教えてくれた病気とは、これからも長い付き合いになりそうですが、日々、体調を整えながら、その時々の課題を乗り越えるやりがいを感じています。

同じ病気を患った人たちとの交流や、周囲の支えて下さる方々を大切にしようと思いながら、今日も課題に取り組んでいます。
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2017/11/28(火) 10:21 美容・健康 PERMALINK COM(0)
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