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交通事故、他人事のようで車やバイクに乗る人なら実は誰しもが身近に存在しているものです。
路上で時々接触事故に追突事故などを起こしてしまっている事故車を見かける事があります。

スピードが加わりぶつかってしまうと、その衝撃はとても大きなものになるのでしょう、車体が大きく変形したり転倒してしまっている車両もあります。

そんな事故車、修理でまた乗れるようになれる程度の損傷ならいいのですが、大きな事故を起こしてしまうと車両のパーツ自体も総入れ替えしなければならない事もあり得ます。
ならいっそ廃車にしてしまおうと考える人も少なくないのではないでしょうか。
事故車を見るとつい事故の思い出が蘇ってくるというような場合は、慣れ親しんだ愛車であっても手放すという選択をする事もあるでしょう。

そんな愛車を事故車にしてしまわないように普段から運転する時は過剰なくらい気を付ける事をオススメします。
事故は起こしてからでは取り返しがつかないのです。
車両だけの損傷で済めばいいですが、誰かを傷付けて相手はもちろん自分の人生をも台無しにしてしまう事もないとも限りません。

私の知り合いに免許取得から約30年ほど無事故の方がいらっしゃいます。
その方の車に乗せてもらっている間は本当に安心感というか、危ないと感じるような事はほとんどないですね。
余計なスピードは出さずに我先にという考えもなく、それくらい慎重で慌てない運転というのは同乗者を安心させるものなのです。

事故を起こさない運転というのは、自信過剰にならずにいつまでも初心を忘れない事なんだなとその方の運転からいつも学ばせてもらっています。
2017/12/18(月) 08:41 車・バイク PERMALINK COM(0)
まだ社会人になって間もないころに大病を患い、病院と自宅と職場を行ったり来たりしてきたのですが、不思議と自分を不幸だとか、人生お先真っ暗だとか思ったことがないことが、わたしの自慢です。

職場や自宅で倒れること数回。これも不思議なのですが、仕事に限界を感じたり、周囲の女性の人生に対する期待に応えられないプレッシャーに押しつぶされそうになったりしたときで、入退院を繰り返すことで、体や心に、今は闘病生活のことだけ、体の回復のことだけを考えればいいんだよと、その限界を感じた場所から少しだけ避難することができたのです。

そのため、体調の悪化は嫌なことではありますが、時間的かつ精神的なゆとりを得られたおかげで、体は不自由だけれども、考える時間を充分、与えてもらったという、病気に対して、妙な恩があるのです。

最初に発症したころは、会社は休みが週に一度、取れるか取れないかという状況で、まだ下っ端の中でも下っ端だったわたしは、無我夢中で働いていました。

とにかく20代、30代はがむしゃらになって働く時期だ、プライベートの充実なんて言っていたらリストラ対象となって、再就職なんてできないぞという神話を本気で信じ、スキルアップだ、昇進だと、訳も分からず周囲にご機嫌を取りながら、職場での自分の場所を確保して、その確保した場所を少しずつ広げることだけに必死になっていたのです。

そんな状況だからこそ、足元をみられて、やらなくても良い仕事を押し付けられたり、理不尽な条件を出されても、修行のようにこなすようになり、自分では分からないうちに、体を蝕んでいく病気と出会ってしまったようです。

もう体力的にも時間的にも限界だと思っていた矢先、運ばれた病院での光景は今でも忘れません。真っ白な白い部屋だったのですが、天国のように思えました。

緊急入院を経て、退院後、自宅での療養生活が始まり、久しぶりに家族団らんに参加できた毎日が愛おしいくらい幸せでした。

それまでは、家族も顧みず、兄たちのようにわたしも独立しなければと、勝手に意気込んで、いつか一人暮らしをするようになるだろうと、そのときの下準備とばかりに家事や仕事に励んでいたのですが、療養生活中のわたしは、祖父母や両親とともに生活できる幸せを満喫していました。

有難いことに、会社に復帰できるようになり、体に負担がかからないよう働けるようになったこともあり、余裕を持って仕事にスキルアップにいそしめるようになりました。

一人で社会で雄々しく生きていくという漠然とした夢から、祖父母と両親を支えて生きる幸せを教えてくれた病気とは、これからも長い付き合いになりそうですが、日々、体調を整えながら、その時々の課題を乗り越えるやりがいを感じています。

同じ病気を患った人たちとの交流や、周囲の支えて下さる方々を大切にしようと思いながら、今日も課題に取り組んでいます。
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2017/11/28(火) 10:21 美容・健康 PERMALINK COM(0)
昔、同じ時期に家を建てたご近所が、昨年家をリフォームしました。
新築のようなピカピカの壁に羨望を覚えたのはまだ記憶に新しいです。
自宅は築30年の一軒家です。

壁が剥がれたら直し、雨漏りしたら直し、だましだまし生活してきましたが、そろそろ限界を感じてきたため外装のリフォームを考えています。
費用の問題があるのですぐに…とはいきませんが、妄想するだけならタダなので、とりあえずリフォームの希望を考えておこうと思います。

まず内装ですが、壁を全部取り払って、部屋の数を変える。
リビングとキッチンの壁もなくして、広い部屋にする。
洗面所から廊下に通じるドアを作って、お風呂はユニットバスに。
窓は全部二重窓にして、ガラスはグレーのUVカットガラスを使用。
外壁はカバー工法を希望。屋根には断熱塗料を使用して、夏は涼しく、冬は暖かく暮らせるようにする。

断熱塗料の問題は非常に重要です。
以前屋根を直したときに断熱塗料を塗ってしまおうかと考えましたが、大がかりになりそうなのでやめた経緯があります。そのため、屋根の修理には心残りがあったのです。
暑さ寒さの問題が塗料一つで解決するとも思いませんが、少しでも解消されるならやってみたいですね。

大体の方向性はもう決まっているので、あとは費用を工面するだけでです。
2017/11/24(金) 10:18 ライフスタイル PERMALINK COM(0)
中学校で知り合って、それからずっと仲良くしている女友だちと、はじめて一緒に旅行に行ってきました。行先は大阪で、USJメインでした。
もともと私も友だちもインドア派で、旅行には時々しか行きません。そのため、スムーズに目的地にたどり着けるか、トラブルを起こしたりしないか、不安にも感じていました。新幹線のチケットやホテルの予約も慣れていないので一苦労でした。ですが何とか準備を終え、当日も道に迷ったりせずに時間通りの新幹線に乗れました。他の人にしたら当たり前のことなのでしょうが、私にはとてもうれしかったです。

大阪でお好み焼きを食べ、そのあとは翌日のUSJに備えのんびりと過ごしました。
駅のコンビニでお菓子と飲み物を買い込んで、ホテルの部屋でひたすらおしゃべりをしていました。これほどまとまった時間を一緒に過ごすのは、いくら長く友人やっているとしてもなかなかないことでした。普段は話さないようなこともぶっちゃけ、楽しかったです。何年も友だちでいても、知らないことはたくさんあるものだなと感じました。

翌日は朝の5時に起きて、USJに行きました。早くから入場列に並んでいたおかげで、スムーズに入園、そして制限がかかる前にハリー・ポッターエリアに入ることもできました。ハリー・ポッターエリアに入ることは、私も友人も今回の旅行で一番楽しみにしていたことでした。名物のバタービールを飲み、口に泡をつけた状態で写真を撮ったり、ハニーデュークスで百味ビーンズや蛙チョコレートを購入したりと、満喫しました。

もちろん、アトラクションにも乗りました。何時間も待たなければなりませんでしたが、ハリー・ポッターエリアのアトラクションには2回乗りました。映画や小説の中でしか見たことのなかった世界に本当に入ることができたような気分を味わうことができ、本当に楽しかったです。夜になり、退園の時間が迫ってくる頃には、まだ帰りたくない、という気分になっていました。私も友人も、「帰りたくなーい」と言いながら、夜のホグワーツ城を後にしました。

USJを出てからはすぐにホテルに戻りましたが、前日の夜のようにおしゃべりをする元気はありませんでした。いびきを聞かれたらいやだなとは思いつつ、眠気には勝てず、爆睡してしまいました。翌朝、「いびきかいてなかった?」と聞いてみましたが、向こうも爆睡していたようで気づかれなかったようです。ホッとしました。
最終日は、新幹線の時間まで大阪を観光しました。お好み焼き、たこ焼き、串カツを食べて回りました。道頓堀などの定番スポットも回りました。大阪の街に、土地勘は全くないので、地図が手放せませんでした。私も友人も方向音痴なので、地図を見ていても間違えた道に進んでしまい、必要以上に歩き回りました。前日もUSJを歩き回っていたので、足の疲れは相当なものでした。足が痛くなって、結局新幹線の予定時刻よりもだいぶ早い時間に駅に戻ってしまいました。
新幹線改札の中でお土産を買った後は、改札内の喫茶店で少しお茶をして時間をつぶした後、予定通り新幹線に乗ることができました。新幹線に乗り遅れたらどうなってしまうのか、不安に思っていたのでホッとしました。新幹線の中では、駅弁を食べたりおしゃべりをしていましたが、疲れがたまっていたのか、友だちは居眠りをはじめました。窓際に座っていた私は、ぼんやりと窓の外を眺めたり、USJで買ったアクセサリーを眺めたりしつつ過ごしました。

新幹線改札を出たところで、友人とは別れました。お互いへとへとで、また予定通りにはいかないことも多かった旅行でしたが、「楽しかったね、また行きたいね」とお互いに言いあいました。私は、また近いうちに旅行に誘おうと思います。今度はもっとスムーズな旅行をできるよう、今回の教訓も活かしていきたいと思います。
2017/11/20(月) 08:49 旅行・お出かけ PERMALINK COM(0)
母は、約20年前に他界しました。母が着物を楽しそうに来ていたのを、子供心に覚えています。
その頃は、着物に興味がありませんでした。ですが、急に、30代後半になって、ある着物と出会いました。
母の形見の着物の小物類を整理していて、ふと、思いました。これは、母が娘の私に残してくれた物だわ。
ただ、着物の小物というだけではなく、母の想いが詰まったものだと実感しました。
私が、母の着物を受けぎ、着物の楽しさや想いを引き継げる事は、幸せだと思いました。
また、それを私の子供に引き継げたら、どんなに嬉しいだろうと思っています。

30歳後半の特別な着物との出会いは、予想外でした。
ショッピング街を歩いていると、新人店員さんに声をかけられました。
「この着物は幸せになれるのです。」
着物のお店でしたから、通り過ぎようと思ったのですが、その新人店員さんの熱意に負けました。とにかく、買わなくて良いので、着物を当ててみて下さいと言われました。

買わないですよ、と念をおして、お薦めの反物を当ててもらいました。
その着物は淡いピンクで、私はあまり似合わないと思っていました。
そうしたら、ベテラン店員さんが、これはどうですか?と漆黒の友禅紬を出してくれました。
その反物を当ててもらったら、一瞬で恋に落ちました。

自分でもびっくりするくらい、着物に惚れてしまい、買いたい!という気持ちになりました。私には、絶対に手が届くわけないと思っていたので、すみませんと言おうとしていたのです。すかさず、ベテラン店員さんが、帯揚げや帯締めを持ってきて、私の気を引きました。
その店員さんは、ベテランと言っても、年齢は私より若かったのですが、仕事は完璧でした。
ベテラン店員さんは、お客さんの趣味を一瞬で見抜く才能があったのです。
わたしは、着物の事など何も知りませんでした。ですが、ときめいてしまうのです。
それを、その店員さんは見逃しませんでした。
着物はいつか、年を経て、老後の趣味で着られたらいいなと思っていました。
ですが、こんなに早く、しかも、衝撃的な着物との出会いがあるとは思いませんでした。

念願の着物があれば、もちろん着たいです。購入したお店で、着付けのレッスンをしていたので、早速、着付けを習い始めました。
それでも足りず、購入したお店以外でも、着付け教室を探して習いました。その着付け教室では、着物を着るのは勿論、着て楽しむ、ランチツアーがあったので参加しました。

楽しくて、着物の魅力にとりつかれました。
着物の小物をそろえるには、結構お金がかかります。
ですから、母が着物の小物を残してくれたことに、感謝しています。
しかも、母の形見ですから、なおさらです。

関東から九州へお嫁に行くことになりました。主人は温泉旅館の次男でしたから、着付けを習っておいて良かったと思いました。
お義母さんは、先代の女将なので、着物を数多く持っていました。

私は横幅が広くて、既製品では横がたらないのです。ですが、お母さんも同じくらいの横幅だったので、着物がぴったりでした。
私が着物好きと知って、数ある中から、着物や羽織、帯などを快く譲ってくれました。ありがたい事です。
実の母を亡くしたのもあり、優しいお義母さんが出来て、本当に嬉しかったです。

着物は親から子へと、引き継がれるものだと実感しました。
時代や流行りは関係ないので、自分のアレンジ次第で素敵に着こなせます。
母の着物への想いを、私が受け取れたので、本当に嬉しいです。
実母だけではなく、お義母さんの着物も自分の子供がいつか着るだろう為に、残し、受け継いでいけたらと思っています。

レンタルきものさくら

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2017/11/16(木) 08:46 ライフスタイル PERMALINK COM(0)
昨日までは夕飯を作ろうかなという時間になると、ムクドリの群れが家の前の電線にびっしりと止まっていました。
よく鳴き声は聞こえていたのですが、ある日あまりに迫力が違うので外に出てみると、見たこともない数に膨れ上がっていたのです。
薄暗くなり始めると姿を現し、その数は次第に増え、最終的には優に700羽はいました。
あまりに数が多いとどことなく怖くなってしまいます。

T字に張られた電線にみっちりと居並ぶ丸々とした鳥と甲高い鳴き声…一種異様な光景でした。
それでいてなぜか目が離せず、夫が出張だった一昨日などは一時間以上も窓辺でムクドリを観察してしまいました。
同じ種類の鳥でもおなかの部分がグレーがかったものや黒に近い褐色のものなどがおり、目の横の白斑も一羽ずつ異なっているようでした。
大群がそこに留まるのは一時間ほどで、少しずつのグループでおそらく寝床に飛び立っていきました。
と、こんなふうにじっくり観察していたので、数羽しか現れなかった今日はなんだか寂しいような気さえします。
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2017/11/12(日) 09:38 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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